「思いで」その1
思いで

北田 元


その1


  私は、高校二年生の冬休み、アルバイトをした。私は、それまでアルバイトなどした事がなかったのでとても面倒臭く感じた。根が怠け者なので人一倍そう思ったのかもしれない。
  友達の一人は、「あんなところでよく続くな。探せばもっと割りの良いバイトも有るだろうに」と、感心していた。私自身、反吐が出るほど臭い、幾らの金もくれぬ肉屋の裏方で冬休みの殆どをを過ごすとは思わなかったのである。
  アルバイトには、目的があった。何時かは無くなると思っていた青函連絡船が、その年の三月で廃止される事になったっていた。私は、どうしてもこの船に乗りたかった。そして、北海道へ旅に出たかった。
  それにその頃の私は、ある出来事の所為で精神的に不安定だった。時には自分の衝動をどうにも押さえ切れなくて、一人泣く事も有った。意識とは関係なく、どんどん気持ちが落ち込んで殻に閉じこもっていく行く自分が怖かった。その意識を振り切る為に外へ出ることにしたのだ。私は、沈みそうな胸の内を抑え付ける様に、年末年始休みなくせっせと働いた。
  学年末試験は、及第点ぎりぎりの所で何とか切り抜けた。終業式の校長の長い話も適当に聞き流し、薄暗い体育館から抜け出すと、ついこの間まで広がっていた鉛色の雲の切れ間から、春の暖かい太陽が覗いていた。武道館の片隅に植えられていた梅の蕾が何時の間にか膨らみ始めて、今にも小さな花が開きそうだった。風の色も、大地の匂いも何時の間にか春めいていた。私は、季節の変わり目を体一杯に感じながら、早々に自転車を走らせた。
  家に帰るとさっそく押し入れの奥から古びた鞄を引っ張り出した。その鞄に荷作りをしている私を見つけた母親が、「汚らしいから新しい鞄を買いなさい」と、呆れ顔を見せた。母親の言う事は尤もだった。その鞄の肩掛けは荷物の重さに耐え切れずちぎれてしまい、何度も縫い付けた跡があるし、物を無理に詰め込むものだからチャックの所が裂けていた。第一、元々白色だった物が雨水やら泥やら埃やらで全体的にくすんでしまい、所々痘痕模様になっていた。しかし、私はこの鞄でなければ旅立つ気分になれなかった。この鞄以外で旅に出ることなど考えられなかったのだ。
  旅に出る事は、直前まで両親に黙っていた。けれども、彼等は、何も言わなかった。それどころか、幾らかの金も包んでくれた。両親は、私の放浪癖を知っていた。そして、その時の私の精神状態が不安定である事も気付いていた様だった。実の所、私は前の年の夏も半ば家出同然に旅に出ていた。しかし、半月もすると、何事も無かったかのごとく、この家に帰っていた。随分後になって両親に聞いた話だが、私が家を出ていった時と戻ってきた時の顔の表情が丸で別人だと言っていた。だから、今度の旅でも、また何事も無かったような顔をして戻ってくるだろう位にしか考えていない様子だった。けれども、その時の私の心は繊細なガラス細工よりも脆い物だった。
  私が北へ旅立つ時は、仙台駅を朝一番に下る各駅停車に乗る事にしていた。尤も、その列車に間に合うようなバスは、走っていないので、駅まで歩いて行くのが常だった。駅まで歩いて小一時間はかかった。けれども、歩いて行く事をそれ程苦にしていなかった。誰もいない街の中を一人、自分の息遣いを感じて歩くのが好きだった。
  駅の改札を抜けてプラットホームに立った時、でこぼこと連なったビルの屋根の縁から覗いた東の空が、真っ赤に染まり始めていた。朝の静けさと冷たい空気がぴんと張り詰めていた所為で、ちょっとした物音が、誰もいない体育館の中の様に辺り中響いた。遠くで、轟々と不気味な音を響かせて大気がゆっくりと流れていた。その緊張した空間の中で、私は、全身を勢いよく流れている血潮と、それを脈打っている心臓の鼓動をはっきりと聞いた。その時、私は自分の手でその激しく脈打っている心臓の動きを握り潰してしまうだけの覚悟が有った。
  「覚悟」と言う言葉が、脳裏をかすめた時、私は別の世界にいる自分に精神を引きずり込まれそうな錯覚に陥った。去年の夏もここで同じ気持ちがした。苦しくて意識が遠のいていくのが分かった。だが、そこから這い上がろうとする努力を初手から放棄していた。現実にいる自分自身の手では、その感覚からどうにも抜け出せなかった。その時の私は、自分自身の正体ではない、その不可思議な空間の不可思議な力を打ち破る力も無かった。ただ幻覚を見ているような心持ちで、「覚悟」と言う言葉を輪転機の中の活版がぐるぐると繰り返し回っている様に、脳裏の内に何度も映し出していた。
  その様な気持ちになるのは、自分自身の過去の所為だった。今の自分を追い詰めていく、もう一人の自分がいることも分かっていた。けれども、そこから抜け出す努力を放棄させてしまうくらい、心は疲れ果てていた。
   しかし、駅員が列車の到着案内を始めた頃には、私の神経も平静を取り戻していた。この様に私の心は、浮いては沈み、沈んでは再び浮き上がると言う具合に、半ば慢性的に変動していた。そしてそれは、無意識の内に心の中を巡っていた。
  ホームには、何人かの人がいた。時間が時間なのと時期が時期だったので、それほどの人数ではなかった。だが、大きな鞄を持った人たちが目立った。乗客達は皆無表情で、ホームに何枚かぶら下がった乗車札の前にぽつりぽつりと立っていた。
「この人達は、どんな思いを胸に抱いてこの列車に乗るのだろう」
  不図、こんな詮索が脳裏をかすめた。そして向こうの方から、幾つもの冷たい車輪が、さらに冷たいレールの上を滑ってくる音を聞いた時、この人達の暗い影を見た気がした。
  この列車は、岩沼から来るものだった。けれども、乗っていた人達は、殆ど仙台で降りてしまった。私の乗った最後尾の車両も、前の方に中年の男が一人、足を伸ばして居眠りしているだけだった。
  私は、列車に乗り込むと誰もいないクロスシートに腰を下ろし、じっと目を瞑った。列車は、仙台で四分しか停車しなかった。しかし、私には、その時間が異常に長く感じられた。時の流れが大きな岩に塞き止められて、このまま永遠に流れ始めない様に思えた。それは、旅立ち直前の緊張感と言うよりも、早くこの街から離れたいと言う焦りにも似た気持ちの方が強かったからかもしれない。一分も無い発車ベルさえもどかしかった。
  そのベルも鳴り終わり、駅員が高々と笛を吹きながら青色のカンテラを頭の上まで高々と上げると列車は小さな衝撃と共にゆっくりと動き始めた。しかし、鈍くけたたましい金属音と共に体が前につんのめった。私は、目を開けて窓を全開にし、外の様子を伺った。すると、さっきの駅員が私のすぐ横で赤い光を放ったカンテラを高々と上げていた。それを運転士が小さな窓から身を乗り出してじっと見ていた。その様子を眺めていると、階段から大きな旅行鞄を持った若い女の人が慌てて駆け下りてきた。その人は、息を切らせながらも、「すみません」と駅員に言い残し列車に乗り込んだ。列車は、ゆっくりとドアを閉めると、何事も無かったかの様に再び動き出した。
  列車は、車輪がレールを滑る音と瞬間的に吹き出す空気の音を繰り返しながら、幾つかのポイントを渡り、何本かの線路を平行にして走っていた。私は、窓枠に頬杖を突きながら、流れて行く早朝の街並みを眺めていた。流れていく建物の奥から、大きな太陽の光がちらちらと覗いていた。通り過ぎる幾つかの踏み切りには、人も立っておらず警報機の音だけが過ぎ去って行った。一本の線路が右に大きくそれて行くと、列車は速度を上げて行った。私は、この街から抜け出せる喜びに浸っていた。
   列車が操車場の脇を全速力で通り過ぎた頃、前のドアが静かに開いた。その奥には、さっきの若い女の人が立っていた。その人は、大きな旅行鞄の小さな取っ手を、更に小さな手で握り締めていた。その人は、車内の様子を伺いながら、その重たそうな鞄を引き摺るようにこちらへ歩いてきた。そして、居眠りしている中年の男と私の間で足を止め、誰もいないクロスシートの上に鞄を置いた。ちょっと、小首を傾げて悩んだ風な様子を見せていたが、網棚を見上げて相槌を打つような仕草を見せると、その大きな鞄を持ち上げ始めた。その鞄は、大きさやその人の表情からして本当に重そうだった。その人は、顔を顰めながら鞄を肩の高さまで持ち上げた。しかし、そこから動きがぴたりと止まった。私は、危なっかしく思いながら、その様子を見て見ぬふりをしていた。その人は、棚の端に何とか鞄を引っかけていた。だが、添えていた左手を一ちょっとずらすと、どすんと言う大きな音と共に鞄が床に落ちてしまった。その拍子に、鞄が丁度真ん中から真っ二つに開いてしまい、中身が辺りに散乱してしまった。かなりの勢いで落ちた物だから、私の足元まで荷物が飛んできた。私は、それらを拾い集め、その人に渡した。
「ありがとうございます」
  その人は、顔を赤らめながら礼を言い、小物を受け取った。そして、足元に散らばった荷物を慌てて鞄の中に押し込むと、再び棚へ上げようとした。
「上げましょうか」
  私はたまらず、その人に尋ねた。
「ええ、出来れば」
その人は、私に鞄を渡すと、含羞ように顔を伏せた。私は、その人から鞄を受け取ると、ひょいっと荷物棚に上げてしまった。そして、さっさと自分の席に戻ろうとその人に背中を向けた。
「有り難うございます。助かりました」
  その人は、私の背に向かって礼を言った。私は、その人の方を一寸見て、「いいえ」と、自分にも聞こえないくらいの声で答えた。座席に戻り、再び車窓に目をやった。薄っすらと窓に映る自分の頬が、赤らんで来るのが分かった。だから、その人の方へまともに顔を向けられなかった。何だかきまりが悪いなと思ったが、そう思えば思うほど余計に顔が火照って来るのでどう仕様が無かった。
  私は、鞄の中から時刻表を取り出して細かい数字を追い始めた。私はただ、仙台を朝一番に立つ列車に乗りたかっただけだった。それから先の事は、全く考えていなかった。仮にこの列車でこのまま終点まで行って、そこから先も東北本線を乗り継いで行くと、十五時頃には青森へ着くはずだった。けれども、その時間に青森へ着いても次の青函連絡船が出るまで二時間もの待ち時間が有った。私は、少し悩んだが直ぐに閃いた。青森発零時三十分の連絡船に乗れば、一泊分の宿代が浮く。これは、以前の経験で知っていた。青森駅で時間を持て余すよりも各駅停車を乗り継いで、その船に間に合う様に青森へ着けば良いと考え始めた。この様に私は、旅に出ても、はっきりとした計画を持ちあわせていなかった。





つづく





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