思いで


その34




  真っ白な雪の中に、艶やかな黒髪を海風に靡かせるみゆきの後姿は、それだけでも絵になると思った。風で乱れた髪の毛を指先で直す何気無い仕草に、裕子は構えていたカメラから目を離すと溜息を漏らした。
「みゆきさんって、本当に綺麗だよね。仕事柄、色んな人に会うけども、そうそう居ないよ、こんな綺麗な人。女の私でも、惚れ惚れしちゃうわ」
「本当に綺麗ですね」
  裕子の指示で後ろに下がり、少し離れた所でみゆきの姿を見ていた私は、祐子に釣られて思わず本音が漏れ出た。口にした瞬間、まずい事を言ったと思い、裕子の顔をちらりと覗いた。案の定、裕子は怪訝そうな顔色をしていた。
「あなた達、本当に付き合ってるの?」
  私は、裕子が放った詮索の視線を避けるように上体を逸らした。けれども、不安になって、確かめるよう反問してみた。
「ええ、付き合ってますよ。嘘だと思いますか?」
  裕子は、少し首を捻った。
「今更、嘘だとは言わないけど。でも、達也君とみゆきさんねぇ。どう見ても釣り合わないんだよね。みゆきさんなら、もっと良い男が引っかかりそうなんだけどなぁ」
「そんな……」
  狼狽している私を見て、裕子は笑い出した。
「ごめんごめん。冗談だよ。でも、私が男ならみゆきさんの事を間違いなく、くどいてるなぁ」
  裕子の瞳に、悪戯っぽい光が放たれていた。私は、目線を落として考えていた。私とみゆきは、不釣合いだ。裕子は、否定はしたが言っている事は尤もだと思った。例え芝居とは言え、私とみゆきが恋人を演じるのはミスキャストの何者でもない。それは、自覚していた。だが、自覚していたとは言え、実際に第三者の目から見た意見をあからさまに突きつけられると切ない物があった。私は、思わず溜息を漏らした。すると裕子は、私の背中を勢い良く叩いた。
「まった、そうやって私の言う事、本気で間に受けるんだから。達也君って本当に素直だよね」
  裕子の口から再び「素直」と言う単語が出た時、私は、首を傾げて頭を掻いた。あなたが思っている程、俺は素直じゃないんだよ、心の中でそう呟いていた。
「君の顔色見れば、今何考えてるか、大体想像つくもんね。嘘、吐けないでしょ?」
「いや、これでも、一生懸命嘘を吐いている積もりですよ」
  微妙な発言だった。けれども、心臓は意外な程、冷静に脈打っていた。裕子は、遠目で私を見ると、にやりと笑った。
「達也君がみゆきさんに? 嘘なんか吐く事なんか有るの?」
「そりゃ、一緒にいたら一つや二つは嘘も吐くでしょう」
「でも、直ぐに見抜かれるんじゃないの?」
「どうでしょうね」
  分からなかった。でもみゆきと私の関係は、祐子が思い描いている次元とは全く別物だと思った。
「みゆきさんは、君の嘘なんて全てお見通だしだと思うよ、きっと」
「女の勘ってやつですか?」
  みゆきに自分の嘘がばれるよりも、私達の嘘を祐子に見透かされるのが恐かった。祐子に嘘を見抜かれたら、みゆきと恋人を演じる意味が無くなる、そう考えていた。不安で頬を歪める私を見て、祐子は真面目な顔で囁いた。
「何かやばい嘘でも吐いてるの?」
「いや、些細な事です」
「そうだよね。決定的にやばい嘘だったら、達也君こんな顔してないものね」
  祐子は、そう言うと笑いを堪えるように口元を手で覆った。私の心配は取り越し苦労だったのだと、ほっと胸を撫で下ろした。すると、裕子は、目を細めてこんな事を言い始めた。
「でもね、達也君の感情って全てにおいて素直だから、みゆきさんはそこに惚れたんだろうね。きっとそうだよ」
  私が唇に力を入れて首を傾げていると、真摯な瞳を向けてこう付け加えた。
「好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。綺麗なものは綺麗だと、素直に言えるでしょ?そう言う所が凄く魅力的なのよ」
  裕子の言葉に、私は照れ笑いを浮かべた。裕子は、私の顔を見て小さく笑った。大人の表情だった。その表情のまま、指先をみゆきに向けて彼女の立ち位置を指示した。海から吹き付ける風が、裕子の大きな声までも遮っていたからだ。みゆきが頷いて示された方向に歩き始めると、裕子はカメラのシャッターを何枚も切っていた。私は、みゆきの綺麗な姿を再び眺めていた。
  みゆきの声を間近に聞いたのは、それから小一時間経ってからだった。
「さすがに海風は冷たいね。手がこんなに冷たくなっちゃった」
  みゆきは、そう言いながら私の手の平を両手で掴んだ。柔らかいその指先からは、確かに体温が失われていた。その手の冷たさと、突然のみゆきの行動に、私の心臓は鼓動を高ぶらせていた。そして、みゆきが自分の手を私の頬に当てた時、私は、思わず息を呑んでいた。
「冷たいでしょ?」
「うん」
  私は、頭を動かさないで、小さく唸るだけで答えた。すると、みゆきは笑いながらその手を引っ込めた。私は、大きな溜息を吐くと、やっと「ご苦労さん」と労いの言葉をかられた。
「裕子さんは?」
  みゆきの問い掛けで、裕子が居ない事に気付いた。
「さあ、車かな?」
  そう言って灯台の下を覗き込んだが、裕子の姿はなかった。仕方が無いので、言い訳するように言葉を付け加えた。
「あの人もちょこまかと忙しいね。寒いから車に戻ってようよ。僕達がいなければ、祐子さんも車に来るでしょ。」
  歩き始めた私の隣で、みゆきは少し視線を落として鼻で笑った。二三歩、歩いた所でみゆきは私の方に顔を向けて口を開いた。
「ところでさ」
「うん?」
「裕子さんと何を話していたの?」
「君が綺麗だなって話」
  みゆきは、照れ笑いを見せた。
「綺麗だなんて、そんな事無いって。東京に行けば私なんかより綺麗な人は五万といるわよ」
「でも、本当に、綺麗だったよ。日の光の下で少し離れて君を見るのは二度目だけど、今までとは全然、雰囲気違うもんね。びっくりしちゃった」
  私は、その感動を伝えようと努力した。けれども、みゆきは、至って冷めていた。私は、自分の感動を上手く伝えらない歯痒さを感じた。
「私は、裕子さんに言われた通りに立っていただけだよ。それより……」
  みゆきは、口篭もると俯いた。
「なに?」
  私が促すと、みゆきは噛んでいた唇を開いた。
「感付いていなかった?」
  みゆきの言いたい事を理解するのに少し間が開いた。
「……嘘の事?」
  私が、そう反問すると、みゆきは、こくりと頷いた。
「やっぱり気になるの?」
  みゆきは、何とも答えなかった。
「体裁を考えてるの?」
「そう言う事じゃないけども……」
  みゆきは、かぶりを振ると小さな溜息と共に呟いた。
「祐子さんに嘘がばれると、あなたと恋人でいられなくなってしまうから……」
  みゆきの言葉は、意外だった。昨日の夜、裕子に嘘を吐き通そうと口にはしたが、その決心は心の何処かで揺らいでいるとばかり思っていた。私は思い出した様に、「ああ」と囁くと、足元に視線を落として答えた。
「ばれてはいないと思うよ。ただ、勘違いはしているね」
「勘違い?」
「僕は感情が直ぐ顔に出るから、嘘は吐けないだろうって言われたよ」
  私はこう答えると、自分の言葉に吹き出した。そして、こう続けずには、いられなかった。
「可笑しいよね。俺、嘘ばっかり吐いてるのにさ。そんな事言われると、良心の呵責に苛まれてしまうよ」
  みゆきは、笑いながら話す私を見て表情を曇らせた。考えてみれば、みゆきには、自分が嘘を吐いていると宣言しているだけに、彼女が複雑な気持ちを抱くのも分かる気がした。私は、調子に乗って口を滑らせた事を反省していた。みゆきは、遠い目線でポツリと呟いた。
「裕子さんの言ってる事、分かる気がする」
「そう?」
  みゆきは、私の目を見ると、こう続けた。
「あなたって、素直だからね」
  その言葉を聞いた時、私がみゆきに抱いている感情を、彼女は、既に見抜いていると直感した。だが、それが事実なのかを確かめるだけの勇気は、私には無かった。確かめられない代わりに、こんな言葉を呟いた。
「僕達にとって、祐子さんは、パンドラの箱みたいだね」
  みゆきは、微笑むと少し首を傾げた。そして、冷めた声でこう言った。
「それを言うなら、私達の嘘の方じゃない?」
「嘘は災いの元、か」
  みゆきの言葉に答える代わりに、そう言い放った。しかし、胸の内に何とも言えない圧迫感を覚えた。みゆきは、私から目を逸らすと、表情をくぐもらせた。
  背中から吹き付ける冷たい海風が、二人の耳元を通り過ぎて行った。細かい雪の結晶が舞い上がっていた。












つづく



 



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