思いで


その18




  窓の外の雪は、いよいよ本降りになっていた。先に進むにつれて、列車は速度を落とし、山の奥深くへ入って行った。けれども列車は、定刻通り停車駅へ滑り込んで定刻通り出発した。矢張り、本格的な雪国の鉄道は、本州とは違うのだと感心した。二人は、誰も居ない車内で、静かに会話を交わしていた。昨日とは、全く違う雰囲気で。昨日とは、全く違う心持ちで。互いの確信には、触れる事無く。出会ってから丸一日、二人で過ごしたのだから、その辺りは慣れ始めたのかも知れない。
  貸し切り状態だった車内も、ニセコへ到着すると様子が一変した。ホームに待ち受けていた小学生の集団が、がやがやと乗り込んで来ると、あちらこちらで子供達の甲高い話し声が上がった。
「僕達は、何処まで行くの?」
  みゆきは、私の隣にちょこんと腰を下ろした男の子に話し掛けた。
「僕達ね、小沢まで行くんだよ。今日はね、三年生より上が、アンヌプリでスキー遠足だったんだ」
  男の子は、聞きもしない事まで答えた。その男の子は、自分の体よりも一回りは大きな防寒着に身を纏い、着膨れした体を窮屈そうにみゆきの方へ向けると、頬を真っ赤にさせながら屈託の無い笑顔を見せた。みゆきも、満面の笑みを浮かべて男の子と向き合った。
「へぇ、スキー遠足?良いわね。楽しかった?」
「うん。今日ね、わや、吹雪いてたけど、なまら楽しかったさ。僕ね、今日パラレルまで滑れる様になったさ」
「ねえねえ、僕が今言った、わや、ってどう言う意味なの?」
「お姉さん、内地の人かい?」
  みゆきは、男の子の言葉に首を傾げると、私を見た。
「確か、わやが、悪いとかそんなニュアンスで使って、なまらが、非常にとかとてもとか、そんな感じの意味ですよ。どちらも、感嘆詞みたいな感じで使うんでなかったかなぁ。内地は、北海道から見た、本州の事です」
  私が、そう解説すると、男の子は舌打ちをして威嚇でもするかの様に私を下から見上げた。みゆきは、改めて男の子の方に向き直ると、微笑みながら答えた。
「すごいわね、僕。お姉さん、内地の人だからスキー上手に滑れないのよね。今度、僕に教えてもらおうかな」
  みゆきの言葉に、男の子は、顔全体を真っ赤にさせて含羞んだ。そして顔を伏せて唇の辺りをもごもご動かすと、意を決した様に目一杯の元気な声でこう言った。
「きっとだよ。約束だからね。絶対だよ」
  男の子の純朴な眼差しに見詰められたみゆきは、当惑した表情を滲ませながらも、それを繕う様に笑顔を見せた。男の子は、単純にみゆきが笑顔を見せた事に満足している様子だった。そして、再び笑顔を見せると、無邪気に口を開いた。
「うぁ、なまら嬉しいべや。ところで、お姉さんは、何処まで行くのさ?」
「お姉さんは、このお兄さんと小樽まで行くのよ。ねぇ」
  みゆきは、そう答えると、私に視線を向けた。すると、みゆきの隣の隙間に無理矢理二人掛けした女の子達と男の子が、みゆきの仕種につられる様に、一斉に私の顔を見た。八つの瞳に見詰められた私は、思わず萎縮すると、その視線を避ける様に時刻表に顔を埋めて、頭だけで二、三度小刻みに肯いた。時刻表を開いたついでに、今乗っている列車の時刻を目で追った。すると、ここから小沢までは、小一時間は掛かる事が分かった。思わず頭を抱えていると、通路に足を投げ出した女の子が、私の顔を見てにやりと笑った。
「このおじさん、お姉さんの愛人?」
  その一言に、私は思わず「何を言ってるの」と、お首まで出掛かった。だが、子供相手だと気付くと、代わりに苦笑いを浮かべて頭を掻いて見せた。女の子の言葉に反応したのは、私だけでは無かった。私の隣の男の子を見ると、さっきの可愛い笑顔が消え、目一杯眉に皺を寄せると私を睨み付けていた。
「お姉さん達、内地の何処から来たのさ?」
  みゆきの隣に座っていた女の子が、みゆきの顔を見上げた。
「君達が知らない遠くから来たんだよ」
  私が、頬の辺りを引きつらせた不自然な作り笑いに濁声を上げてそう答えると、子供達はおろか、みゆきまでも体を後ろに仰け反らせた。
「そうだよ、きっとそうだよ。この愛人のおじさん、お姉さんがなまら綺麗だから一人占めしたくって、攫って逃げてきたのよ。助けてあげなきゃ」
  二人の女の子は、聞こえる様な耳打ちをし合うと、私の顔を見て見ぬふりをしていた。私は、まるで睨めっこでもしている様な引きつった目付きのままで、子供達を睨み返していた。こいつらテレビドラマか、ませた少女漫画の見過ぎだと、子供相手と分かっているにもかかわらず、胸の内で憤慨していた。すると通路に座った女の子が、肘掛けの上に体を乗せると、子供達に囲まれた引率の先生らしき大人達が座った座席の方に体をねじった。助けて欲しいのは、こっちの方だと声高に叫びたい衝動を噛み殺した私は、みゆきに目で助けを求めた。みゆきは、私の合図に微かに肯くと、子供たちの顔を見回しながら優しい声で話し始めた。
「このお兄さんはね、愛人じゃなくって、お姉さんの恋人なのよ。僕達、愛人と恋人の違いって知ってる?」
  女の子達は、目をぎらぎら輝かせて元気良くかぶりを振った。男の子は、哀しそうな表情をあからさまに見せると、小さく首を横に振った。私は、例え話とはいえ、みゆきに私との関係を「恋人」と告白させた、この子供達に感謝していた。
「じゃあ、お姉さんがその違いを教えてあげるわね。恋人同士って言うのは、一組の男の子と女の子が、お互いに好きな同士の事を言うのよ。愛人って言うのは、恋人同士の二人の間に、ある日突然現れた、お邪魔虫の事を言うのよ。分かった?」
  女の子達は、刺激的な語彙を得た感動からか、しきりにへぇと言っては、何度も肯いた。男の子は、雪山に一人取り残されて現実に背を向けた人の様に呆然とした表情で、ぽつりと肯いた。私は、その説明に少し疑問を感じながらも、にやにやと笑っていた。
「でも、このおじさんと、お姉さんでは、わや釣り合わないもん」
  みゆきの隣の女の子が、私に向かってはっきりと言った。みゆきは、その子を諭す様に、
「どうして?」
  と、聞いた。女の子は、不思議そうな顔つきで、みゆきを見上げると、こう答えた。
「だって、ワイドショー見てると、なまらかっこいい男の人と、お姉さんみたいななまら綺麗な女の人が恋人宣言とか、結婚とかしてるじゃない?たまに、男の方がわや不細工だと、お母さんが、釣り合わないカップルねって言うもん」
「あら、このお兄さんが、格好悪いって言いたいわけ?」
  女の子は、こくりと肯いた。男の子は、力強く「うん」と答えた。みゆきは、声を出して笑った。私は、苦笑いを浮かべた。
「格好いいじゃない、このお兄さん。私は、そう思うよ」
  子供達は、一斉に首を傾げた。
「やっぱり、お姉さん、わや騙されてるわ。だって、お母さんが言ってたもん。お姉さんみたいな綺麗な女の人に、変な男が一緒だと、きっと男が騙したんだって言うもん」
「そうよ、このおじさん、なまら悪い人よ」
  女の子達は、唇を尖らせながら更に話を飛躍させると、悪人でも見ている様な目付きで私を見た。男の子は、明らかに私への嫌悪感を抱いていた。みゆきは、涼しい口調で反論した。
「お姉さん、騙されてなんかいないわよ。お姉さんはね、このお兄さんに、危ない所を何度も助けてもらったんだもの。だから、このお兄さんの事を信じて恋人でいられるのよ。それにね、男の人は、格好の良さで、良い人か悪い人かなんて決まらないし、その人の事を本当に好きならば、格好良いとか、そんな事は関係無くなるのよ」
  女の子達は、「大人の人って分からない」と呟くと、互いの顔を見て首を傾げていた。男の子は、寂しそうに俯いていた。私は、複雑な気持ちでみゆきの話を聞いていた。みゆき自身も、表情に少し寂しさを浮かべていた。
「お菓子、食べる?これ、凄く美味しいのよ」
  みゆきは、窓枠のテーブルに置いた小さな箱を取り上げると、銀紙に奇麗に包まれたチョコレートを子供達に手渡した。女の子達は、そのチョコレートを美味しそうに食べると、さっきまでの表情が嘘みたいに愛想が良くなり、私の顔を見ても、にこにこと笑っていた。男の子は、噛み締めるようにそのチョコレートを食べると、無理に作り笑いを浮かべていた。それから後は、子供達が今日の出来事を、延々と話し始めた。
  倶知安を過ぎて、列車が再び速度を落とし始めると、引率の先生が、わざわざ私達の所へ丁寧に礼を言に来た。そして、子供達も深々と頭を下げると、引率の先生に急かされる様に身支度を始めた。そして列車が小沢に到着すると、私は、子供達の後を追いかけた。様々な色や形の毛糸の帽子が落ち着きなくうろうろと動いている中から、さっきの男の子を見つけ出した。
「色々有るさ。元気だせや」
  私は、その男の子にそう声をかけると。チョコレートの残りを手渡した。男の子は、振り向いて笑顔を見せると、勢い良く一度肯き、
「うん、有り難う。バイバイ」
  と言って手を振った。列車を降りて行く彼の後ろ姿を見た時、私は、何故だか胸が詰まる思いがした。





つづく




 
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